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2006年7月

華代ちゃん

27日毎日放送イブニングニュースでやってたなぁ。「18日間の自宅研修で、レポート1枚」 また、先生のずるい話。ひとりじゃないよ、ほとんどが、こうゆうことをしている、って話。

先生の夏休み、本来年休で休まないといけないんだけど、それは、別のとき使うので、ここは、研修しかも、自宅研修ということでごまかす。

これで、給料が丸々もらえる。しかも、レポートは一枚だけでも、校長は、喜んで、承認する。記者の「これで、研修と言えるのか?」の質問にも、いけしゃあしゃあと「りっぱにやっていると思います。」だと。狂っている。

わたしも、先生になった友達が2人います。今は、廃人です。少なくとも、ぼくから見れば。あんなに、燃えていたのに・・

卒業以来20年ぶりに、多度津で会った佐藤君。教頭だってね。おまえ、おれに会って、開口一番なんて言った!!

「おい、カラオケいこか?」

おれは、おまえとカラオケしに来たのではないんだよ。おれは、お前と話したいことが、たくさんあったんだよ。上智の佐藤よ。目をさませよ。

お前、先生になりたてのころ、おれに葉書くれたんだよな。

「今、ぼくは、香川県の小さな島の分校で1~6年生を、受け持っています。 といっても、6人ですが・・・わっつはっはっつ」

「午後からよく子供たちと海に行って、さかなつりをします。」

「浜をいっしょに走ります。」

ぼくの知っている佐藤は、どこへ行っちまったんだよ。あれから10年、もう、この世では、会わないんだろうな。

おまえには、世話になった。アメリカに行けたのもお前のおかげだよ。「GREENING REVOLUTION」で、日米学生会議通ったんだからな。おまえのことが、今も、とてもなつかしいよ。   

もうひとり、起美代ちゃん。大学時代3年間いっしょに、養護学校の英語クラブのボランティアしましたね。青学の短大から4年制へ編入したがんばりやさん。いつ、何を頼んでも、NOを言わない人でした。りっぱでした。いつも、白いコートひるがえして、かっこよかったです。あれは、やはり、15年ぐらい前でした。

2人目の子供を産んで、入院している産婦人科へ、報告がてら、お見舞いに、行きました。

「起美代ちゃん、華代ちゃん結婚してたよ。」

ぼくは、ずーっと気になっていました。車椅子でかなりハンディの重い華代ちゃんのことが・・そして、東京へ来たついでに、探して、会いに行ったのです。お母さんが、新しい住所を教えてくれました。

なんと、あの、何しゃべっているかわからない(ハンディのためです)華代ちゃんが、結婚していて、しかも、赤ちゃんがいたのです。もちろん、買い物、料理、洗濯、そうじ、フロ、トイレ、哺乳瓶、おしめ・・・だんなさんとたくさんのボランティアに支えられています。

今 名称を HANDICAPPED から CHALLENGED へ変える運動があります。こっちの方がいいですね。華代ちゃんは、本当の CHALLENGED さんですよね。

華代ちゃん、よかったな。ぼくは、きみが生きていてくれただけで十分うれしかったけど、結婚できて、子供までいて、もうまいったよ。さあ、起美代ちゃんに知らせなきゃ。

                                  

「ああ、そう、よかったね。」

「わたし、もう病室に帰る時間だから」

ちがうねん。なんで、生きててよかったねって、言われへんねん。あんな、重度の子が、まだ、生きててよかったやん。なんでわからへんねん。しあわせでも、ふしあわせでも、どっちでもええねん。生きててん。生きててくれたんやで。

せんこうになったお前は、結局、人のこころを忘れてしまった。

あれから、何の連絡もしない、連絡もない。

地球の上の、目の前の日本は、「せんこうが、狂わせ、公務員が、食い尽くしている、自ら虐げられた民衆は、すでに抵抗する気力さえ失っている」 そんな様相を呈しているのではないだろうか。

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特殊清掃「戦う男たち」

リンク: 特殊清掃「戦う男たち」.

自分のことを、「他人と喜びも悲しみも共有できる善人」と勘違いしないように気をつけている。恥ずかしながら、実態はその逆だから。

言いえて、妙だなあ。

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仕事の能力、子供時代が左右

リンク: @nifty:NEWS@nifty:仕事の能力、子供時代が左右=多様な体験で「目標持ち率先」-民間シンクタンク(時事通信).

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報道写真家から:ジャマイカ 楽園の真実

リンク: 報道写真家から:ジャマイカ 楽園の真実.

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スポーツ心理学者、知ってはります?

リンク: @nifty:NEWS@nifty:ジダン釈明、仏国内で同情と不満…伊選手に批判高まる(読売新聞).

【パリ=若水浩】フランス代表主将、ジダンがテレビで釈明したのを受け、国内では「マテラッツィも罰を受けるべきだ」との声が大きくなってきた。

一方、新聞各紙は子供たちに謝罪した点は評価したが、チームや敗戦に対してコメントがないことに不満を表した。

サッカー・フランスプロリーグのティリエ会長は「ジダンは間違いを犯したが、大きな代償を払った。マテラッツィも間違いを犯しているのは疑いなく、同じく罰を受けるべきだ」と批判した。

仏スポーツ専門紙レキップは「忘れ去られた決勝戦」とのタイトルを掲げた。フランスが敗れたことに言及しなかった点に不満を表し、スポーツ心理学者の「彼の行動は報復ではなく反応だ。幼稚な側面があった。(生まれ育った)マルセイユのグラウンドでしていたようなことをした」というコメントも掲載した。



[読売新聞社:2006年07月14日 11時06分]
 
自分も悪いが、相手はもっと悪い。今のヘラヘラ日本人には、できないだろうな。こうゆうこと、日本でも、もっとやらなくちゃあ。そのために、まず、
 
お前なにしとんねん。
ええかげんにせえよ。
そうか、ほな、おれも(わたしも)気いつけるから、おまえも、気いつけてえや。
 
てな具合じゃ、だめですか?
いつも、ヘラヘラするのを、やめましょうよ。
 
いいたいことを、言い合わないとだめよ。
ヘラヘラしてるだけじや、道は開けないのよ。
そうゆう態度を、「ことなかれ主義」というんですよ。
 
ヘラヘラ(まあ、口先だけ)とニコニコ(こころの底から)は
別ものですから。
 
それにしても、「スポーツ心理学者」知ってはりました。?
 
「彼の行動は報復ではなく反応だ。」
 
大人の国といわれる、フランスの詭弁だろうか、それとも、正論なのでしょうか。日本人には、できそうもない、言い様(よう)です。

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特殊清掃

リンク: 特殊清掃「戦う男たち」:2006年6月23日.

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「押し付けるな」を押し付けるな

勘違いが多すぎる。だってそうでしょ。

比較的若い読者から、「おまえは、なにものだ。なぜ、しったかで、意見を押し付けるのか?」と、言われたことがあります。

ごめんなさい、ブログでどう押し付ければいいのでしょう。もし、そうゆう KNOW-HOW お持ちなら、是非教えていただきたい。

見たくなければ、来なければいいだけですから、私から、押し付けようがございません。

会社にくる面接者からも、そうゆう事を言われたことがありますが、いずれも、大きな勘違いです。いやなら、出て行けばいいだけのことです。

みんなと仲良くしなければいけないという、脅迫観念が、若い人をしばっているだけなのです。よって、NOが言えない。違う意見が言えない。躊躇する。代わりに、苦し紛れに相手にかみつこうとするのです。できてないのは、自分の方なのに・・・

意見があって、自分の意見を言うことは、民主主義の根幹です。人の意見を尊重できない人ほど、「押し付けないで」を連発するのです。

では、なぜ「押し付けるな」をわたしに、押し付けてくるのでしょう。つまり、いつも言うように、基本は、聞くことです。聞けてない人は、当然、意見を形成できません。それは、YESでも NOでも。だから、適当な、「押し付けないで」を押し付けてくるのです。

だって、人の話をきちんと聞けていれば、同意でも、反論でも、質問でもすればいい。できないから、聞いてないから、あわてて、「押し付けないで」を押し付けてくるのでしょう。

適当なこと言って、逃げ出すひまに、きちんと向き合って意見を言いましょうよ。いつも、「押し付けないで」で逃げる人は、いい意見を言おうと、思うからできないのでしょう。

いい意見も悪い意見もありません。前にもいいましたが、いい悪いは、神のみぞ知る。その意見が、好き、きらいは言えます。それで、いいのでは・・・

「押し付けるな」も、意見だとうそぶく人もいるでしょう。では、決定的なことを・・・ 「押し付けるな」は意見では、ありえません。なぜなら、それは、論争における、方法論でしかないからです。つまり、論争点に関する意見になりえていません。

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犬でも反応するのに・・・

ところで、右となりの、うぐいす色のワンちゃん、さわると動きますよ。特にむかって左の耳、クリックすると、すごい。

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柳沢 道寛さん

リンク: 報道写真家から:【シティ・オブ・ゴッド】. ブラジル ファべーラの物語

ブラジル・サンパウロで15年住んでいた道寛さん(3日の、酒井老師の弟子)が、よく言っていた。子どもがよく殺されるんだ、と。

      

子どもが追われて逃げまどうだろ

教会へ逃げ込もうとすると、ドアを閉められちゃうんだ

そして、その扉の前で、次々に、撃ち殺されるんだ。

子どもとは、ストリートチルドレンのことです。にわかに信じられないので、道寛和尚による、反キリスト教キャンペーンかと、思ったほどでした。でも今日、中司さんの記事を見て、本当だったんだと再確認しました。

道寛さん、いきどおっていたんですよ、すごく。
だって、私服の警官が殺すんですよ。そういえば、映画「CENTRAL STATION」にも、似たような場面ありました。駅でつかまりかけた子どもを、かばう場面。

道寛さんが言いたかったのは、その時こそ「教会は、とびらを開き、いのちを救わないといけない」のに、宗教が、機能していない、と。

キリスト教のみの問題ではなく、仏教を含む多くの宗教が、あるべき姿にない、と。

そう思った彼は、単身ブラジルにのり込み、仏教の布教活動にはいるのだが、続きは、また今度、リクエストがあれば・・・

ところで、まず、中司さんの体験から、知ることをしましょう。

知らないことは、ただの無知ですが、知ろうとしないのは、罪(SIN)だと思います。他の人と協調しなくてもいいけど、シェアできないのは病気だと思います。

ぼくは、協調するのは、きらいだけど、シェアするのは、人としての倫理だと思っています。

シェアの基本も、また先ず聞くことです。

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