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2006年8月

CONTINUED

きのうのつづきです。

子猫・殺す この言葉に、人間を知らんぷりできる人まで、過剰に反応していると思います。だって、オリジナルの記事のコメント約1000 ほとんどが、最低人間とさげすみ、作家の女の人がブスだから、こうゆうことやるんだと写真まで、もちだして。
わたしは、こうゆうヒステリックな論調がきらいです。じゃ、仮に美人なら、いいことしかしないのでしょうか?

今は、あたかも、ネコのいのちも人間のいのちも、同列のごとく扱われる風潮になっていますが、それは、いかがなものでしょうか?

だれでも、知っています。ひとりの人間のいのちは、地球より重くないことを。もっと、冷静に判断してください。だって、医学部で、理科系の学部で、どんなにたくさんの、ネコも含む実験用の動物が天寿をまっとうしていることか?

これが、ねこの代わりに、人間だったら、大変でしょう。

こねこ・殺す  の  代わりに  こゴキブリ・退治する  では、雰囲気がかわりませんか?同じいのちですよ。もちろん、ネコでも、なんでも殺して、死んでゆくのには、反対ですよ。でも、やはり、それは、人間ではないわけで。であれば、もう少し、節度をもって、小さな声で、 反対 というのが、ちょうどいいぐらいじゃないのかな?

日本から、100人が100人決まりきった、殺すの反対 を タヒチ島の1人に向かって言わなくても。

大人げないと思いませんか?

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作家

リンク: 痛いニュース(ノ∀`):作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る.

本当のことで、怒られるのって、いやよね。どーして、みんな、たてまえばっかりで・・・・・・・・・ヘドがでる。

あのね、いいか悪いか、どーして言えるの。あなたが、さしせまったらぜったいしないんでしょうか?

子猫でなくても、殺すのは・・ねぇ。いまいちよねぇ。そんなこと、だれでもわかってるよ。でもね、少し前まではね、子ネコひろってくるでしょ。すると、どこの親もね、「ネコ川へ捨てておいで」って言うんだよ。これ普通なのよ、昔は。

この記事のコメントのように、きれいごとだらけで、いかにも、自分は悪い人じゃないといいたげな人の何人が、何人のホームレスの人に、声かけているんだろうね。ネコもだけど、ネコより人間じゃないの。

それとも、人間よりネコなの。

ぼくは、ホームレスの人に、のり弁買ってあげるよ。年に1度か2度だけど。みんなが少しずつ、してあげたらいいね。

じゃ、なぜ、ホームレスの人に親切にするのか?

あたりまえでしょ。だって、「あすは、わが身」だもんね。

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敵か、見方か

リンク:http://ikken.mo-blog.jp/yanakaan/ 初めまして。 トラックバックありがとうございました。

神戸名物殿も、かなり面白い経歴をお持ちのようですね。
桐ヶ丘養護学校が付属していた大学の出身ですか? だとすると先輩か後輩ということになる。ワシゃ76年卒です。

投稿 谷中庵主人 | 2006/04/08 16:05:45

コメントありがとうございました。 残念ながら、東京教育大では、ありません。東急でなく東京の大学で、谷中庵さんとは、ほぼ同年代です。学園紛争のしっぽでした。でも、入学式は、つぶされるは、半年は、授業もありませんでした。今そんなこと言っても、若い人たち、誰もぴんと来ませんもんね。横丁のこわいおじさんですが、店でもチョットこわいおじさんです。きょうは、20人ほど追い返しました。元へ、追い返してしまいました。いや、だめなんですね、どうも理念が先、お金が後で。
だって、万華鏡、こどものおもちゃと決めつけて、こっち向いてくれないものですから。人の話聞けるようになったらまた来てね、って追い返しちゃうんです。大人ばっかり。ひとりのおかあさん、だんなさんに、「私何かわるいことした?」と聞いてましたが、人の話に耳かさないのは、ぼくにとって十分あかんことなんです。だめね、早く大人にならなくちゃ。と思う反面これでいいかと。敵も見方もいないより、敵たくさん、見方すこしはいる。のほうが、多少エキサイティングかと。こっちの方が、まだ似合っているので。
谷中庵さん、ありがとう、これからもよろしく。

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サルガンセキにだまされないで

以下の文章は、わたしが、心酔する中司達也氏の「報道写真家から」というブログからの全文引用です。

あまりにもすばらしいので、この度は、全文引用とさせていただきました。これは、過去のブログであり、ほぼ毎日更新されているので、特に若い諸君には、お気に入りに、BOOKMARKしていただき、新しいものもチェックされることを、お薦めします。

リンク: 報道写真家から:アフガン不法潜入を試みた若者.

僕がパキスタンで、アフガニスタンビザの手続きをしていたころ、アフガニスタンに不法潜入しようとして、パキスタンの国境警備隊に捕まった日本人旅行者がいた。

僕は、ラワール・ピンディの有名な安宿ポピュラーインに泊まっていた。ホテル・ポピュラーインは、常にバッグパッカーであふれていた。そのうち日本人が2~3割を占めていたように思う。一階のレストランのメニューには、オムライスもあった。日本人旅行者から教わったらしい。マトン中心のパキスタンの料理の中で、このオムライスはけっこう光っていた。 

 
日本人が多い宿といっても、タイやインドのようにひしめいている訳ではなく、日本人同士の交流は比較的円滑に行われていた。

どこから来て、どこへ行こうとしているのか、というのが旅行者同士が会ったときの、まず最初の話題だろう。お天気から入ることはまずない。見知らぬ同士がすぐに会話できるところが、旅のいいところだ。まわりに日本人しかいない日本での方が、かえって知り合う人が少ない。

 
また、旅では日本ではめったに出会うことのない多くの人が目の前に現れる。旅は人間の見本市に出かけるようなものなのかもしれない。放っておいてもいろんな人が前を通りすぎていき、自然に人間観察ができる。

ホテル・ポピュラーインに着いた日、一階のレストランで髭づらの日本人が話しかけてきた。少し話をしたあと、髭づらの男は、僕の名前を訊いた。僕は名乗り、そして相手の名前を訊き返した。
 

 すると髭づらの男は、
「ハッ、タイチョーであります」
 という芝居がかった口調で言った。
「タイチョー?」
「ハッ、そうであります」

 ま、いいや。自分を社長と名乗る旅行者もいた。タイチョーがいてもいいだろう。そのうちショーグンも現れるかもしれない。タイチョーは、話す頭にたいてい「ハッ」とつけた。

 
「いま、わが隊の隊員がアフガニスタンへむかっているところであります」
 突然、タイチョーさんはそんな話をはじめた。
「ビザが取れたんだ」
「ハッ、ビザは取っておりません。不法潜入作戦であります」
「不法潜入・・・作戦?」
「ハッ、アフガニスタン人に変装して潜入します。明日あたり国境を越えるものと思います」

 
呆れたもんだ。こちらは、明日、日本大使館へ行って、身分証明のレターの交渉をしなければならないのに。
「国境で捕まるに決まってるだろ」
「いえ、大丈夫であります。アフガン人は、国境はフリーパスです。変装すれば、なんなく国境を通過できます」

 
そんな簡単なものなのかね。あまりこういう手合いとは話をしたくなかったが、タイチョーさんは勝手にしゃべり続けた。
「わが隊は、世界中で作戦を展開してきました」

 
タイチョー殿は、現地で徴兵した日本人を連れて、「砂漠のなんとか作戦」と大層な名前をつけて、水だけ持って砂漠や山へ行くらしい。サクセンといっても、適当に歩いて日帰りで帰ってくるだけだのことらしい。要するに弁当なしのハイキングだ。そのほかのサクセンは忘れた。覚えておくほどの価値もない。

 
タイチョー殿は30歳くらい。髪の毛はバサバサで濃い髭づらのむさ苦しい男だった。軍服は着ていない。軍隊経験もない。

 
しかし、案外バックパッカーはこういうマガイモンをちやほやする。それがタイチョーさんにはたまらない快感らしい。いかに支持者が多いかを、得意になって話していた。
まあ、勝手にしてくれ。意見する気もないし、関わり合いになる気もない。

 
翌朝、日本大使館へ行こうと、一階のレストランへ降りると、タイチョーがレセプションにいた。
「さっき、不法潜入を決行しようとした隊員から電話がありまして・・・、パキスタンの国境で捕まったらしいです」

 
そうかい、僕の知ったことではない。君たちの問題だ。
「そんな奴は、オレは助けるつもりはないね」

それだけ言って、僕は日本大使館へ向かった。人が正面玄関からちゃんとノックをしてアフガニスタンへ行こうとしているときに、迷惑な話だ。日本大使館で、身分証明のレターの発行を交渉するついでに、日本人旅行者がアフガニスタンへ不法入国しようとして、パキスタンの国境で捕まったらしいと報告しておいた。

 
その次の日の朝にも、捕まった隊員からホテルにいるタイチョーに電話があった。電話連絡が許されるということは、まず身の危険はない。

 
僕を見つけると、タイチョーは必要もないのに報告した。 
「野郎は、このままでは警官にカマを掘られてしまうと、怯えています。今日は署長室に泊まれと言われているようです」

 
君の隊員のケツのことなど、僕の知ったことではない。タイチョーのあんたが何とかすればよろしい。
「野郎は半泣きになって、大使館へ連絡してくれと叫んでました」
じゃあ、行けばいいだけの話だ。

 
バカバカしいので、僕は自分の部屋へもどった。ドアを開けっ放しにして、ベッドに横になった。パキスタンの夏は、室内でもチーズが溶けそうなほど暑い。

 
そこへ、すぐにタイチョーが現れた。ただでさえチーズも溶けそうなほど暑いのに、髭づらのむさ苦しいタイチョーがくると、部屋の中は鉄まで溶けそうになった。

 
タイチョーはドアのところに突っ立って、大切な風をさえぎりながら、
「どうしましょう・・・」
と弱々しく言った。僕ではなく、壁に向かって話しかけているようだった。普段のタイチョー口調はとっくになくなっていた。

 
「オレとは関係ないよ」
と僕は、再度はっきり言った。

 
おとついまでは「ハッ、不法潜入作戦であります」などと得意満面で自慢していたではないか。あのときの威勢はいったいどこへいったのか。ドジを踏んで捕まったとたん、会ったばかりの相手に泣きつくとは、どういうことだ。筋違いもはなはだしい。そもそも取り巻きがいっぱいいると自慢していたではないか。

 
「どうしましょう・・・」

 
タイチョーはそれしか言わなかった。さらに声はか細くなり、口は半開きになり、ドアのところでほとんど放心状態だった。いつまでも部屋の前に突っ立ているので、イライラして、
「大使館に行けばいいだろ。土曜でもたぶん誰か日本人がいるさ」
と僕は言った。

 
なんとそれでも、タイチョーは、
「どうしましょう・・・」
しか言わなかった。タイチョーさんの頭の中はどうなっているんだ。永遠に僕の部屋から出る気配がないので、ついに頭にきて、
「ならオレが行ってやる」
と言った。というより、言ってしまった。たぶん、あとで必ず後悔するだろうなという予感があった。が、言ってしまったものは仕方がない。たぶんタイチョーさんは、ほっとけば夜まで「どうしましょう・・・」と幽霊のように、僕の背後に付きまとっただろう。それこそ、たまったものではない。

一人で大使館へ行くつもりだったが、タイチョーは急に元気になりヒョコヒョコついてきた。ラワールピンディからイスラマバッドまでバスで20分。イスラマバッドでミニバスに乗り換えて10分。簡単な経路だ。

 
大使館は、土日は休みだが、それでも一人くらいは日本人スタッフが詰めているのではと思ったのだが、誰もいなかった。

 
守衛が電話で日本人スタッフを呼んでやるといって、何本か電話をかけた。ちょっと嫌な予感がした。30分ほどして、一台の車が大使館にやってきた。嫌な予感は的中した。後部座席には、女性と子供が乗っていた。家族でどこかへ遊びに行っていたに違いない。そうなるとわかっていたら、僕はさっさと帰っていた。大切な休日をつぶすほどの問題ではない。

 
来てしまったものは仕方がないので、事情を説明した。大使館員は真剣に応対してくれた。とても感じの良い人だった。概要を説明したあと、細かいところはタイチョー本人から説明させた。
「捕まった人の名前は?」
「モリヤマ・×××です」
「モリヤマのモリはどの字ですか」
タイチョーは隊員のフルネームを漢字で書いた。

 
「捕まった場所は?」
「ハッ、ペシャワールからカイバル峠を越えた国境です」
おや?タイチョー口調がもどってきた。

 
なるほど。タイチョー殿は大使館へ行ったら大目玉を食らうものと怯えていたに違いない。大使館員の態度が、丁寧なので安心したのだろう。だんだん態度がでかくなってきた。この程度の男なのだ。

 
「捕まったのは警察ですか?」
「ハッ、KKHと言ってました」
「KKH?何の略ですか?」
「さあ・・・」頼りにならねぇ。
「トルカムのボーダーですから、そこの警察でわかるのでは」
と僕は言った。
「分かりました。すぐ調べてみます。そちらの連絡先は?」
僕はこれ以上関わりたくないので、タイチョーに名前を教えるように言った。タイチョーは威厳を持って名前を告げた。

 
大使館員は最後に、
「ところで、やはりサルガンセキですか?」
と訊いた。

 
当時は「猿岩石」ブームの全盛期だった。猿岩石の猿マネをする若者たちが、トラブルを起こしてはすぐ大使館に駆け込み、世界中の日本大使館を悩ませていた。タイチョーは何も答えなかったが、内心”そんなものと、いっしょにしてもらっては心外である。これは立派なサクセンなのである”と思っていたかもしれない。

 
タイチョーはこれで、ひと仕事すんだというお気楽な表情になっていたが、大使館員はこれからが大変なのだ。タイチョーは、大使館に迷惑をかけることを意にも介していない様子だった。もちろん、家族の休日が台無しになったことも。

 
「ご面倒ですが、よろしくおねがいします」
なぜ、僕が言わなければならないのか。

 

その日の夜8時ごろ、大使館からホテルに電話が入った。ホテルのスタッフに呼び出され、タイチョーが電話に出た。タイチョーは電話を切ったあと、いつもの口調で、
「大使館からです。野郎の居所がわかったそうです。あした釈放されます」と僕に言った。

 
タイチョーを連れて大使館へ行ったのがまだ午前中だった。大使館員は、それから夜までずっと各方面に電話を入れ、モリヤマの居所を突き止め、釈放の交渉も済ませてくれたわけだ。その間約10時間だ。そして家族の休日は丸つぶれになったというわけだ。優秀なタイチョー殿とその有能な隊員の不法潜入大作戦のせいで。

 
「あしたモリヤマが帰ってきたら、スシくらいおごらせますから」
とタイチョーは言った。
頼むから、もう僕にかまわないでくれ。
「モリヤマが帰ってきたら、日本大使館に出頭させろ、わかったな」

 
タイチョー殿は、僕が何を言っているのか理解できなかったようだ。大使館員は、税金で食ってるのだから、このくらい当たり前だとでも思っているのか。たぶん思っているだろう。

 

翌日、ホテルの一階で晩飯を食べていたら、紺色のシャルワルカミーズ(アフガン服)を着た若者が突然話しかけてきた。釈放された有能な隊員モリヤマだ。

 
「どうも、タイチョーから話を聞きました。ありがとうございます」
一応、口調は丁寧だったが、何かが不満とでも言いたげな感じだった。目に表情がなく、ずっと斜め下しか見ていなかった。僕は、話す気もなかったが、目の前に座られては仕方がない。

 
「で、どうだったんだ」とだけ言った。
「留置場はすごいところでしたよ。大勢いる中にぶち込まれました」
で、そこでもカマを掘られそうになったのか。
「人の叫ぶすごい声が奥から聞こえてくるんですよ。拷問されてるんです」

 
モリヤマはいかに凄まじいところにぶち込まれ、かつ、その中で自分はいかに平然としていたかを、強調しようとしていた。半泣きになって、タイチョーに電話してきたことなど、とっくに彼の大脳皮質からは消滅しているようだった。丁寧な口調もほんの最初の方だけだった。彼の話を冷たく聞き流す僕に、苛立っているようだった。英雄あつかいしてくれると思っていたのだろうか。

 
「アフガニスタンで捕まるならわかるけど、なぜパキスタンが捕まえるのか納得できない」
とモリヤマは言った。
不当逮捕とでも言いたいのかね。モリヤマは自分の行為を正当化しはじめた。このタイチョーにして、この隊員ありと言うしかない。
「これから、みんなで出所祝いをするんですよ。いっしょに行きましょう。おごりますよ」

 
とてもありがたい申し出だが、とっとと僕の前から消えてくれ。
「メシはもう食ったからいい。それより、あした日本大使館へ行ってこい。いいな」
「わかってます。大使館から来いと言われました」

 
本当にわかっているのか。
不法潜入を当たり前のことと思い、パキスタン側で捕まったことに納得できない程度の前頭前野の持ち主だ。
あと二日ブタ箱に放り込んでおけばよかったと本気で思った。

 

その夜、優秀なタイチョーと有能なモリヤマ隊員、そしてこのすばらしい武勇伝をはやしたてる知性豊かなバッグパッカーたちは、一晩おおいに盛り上がったことだろう。
 以後、タイチョー殿もモリヤマ隊員も、二度と僕に話しかけてこなかった。彼らが僕にできる最善の行為ではある。

 

モリヤマは、いたるところで、この件を「武勇伝」として吹聴してまわっていた。その後何人もの旅行者から、モリヤマの話を聞かされた。彼らは等しくモリヤマの武勇伝を褒め称えていた。不法潜入に共感しているようでは、お話にならないが、一応、モリヤマ隊員が話さなかったであろう部分は補足しておいた。君たちの英雄殿は、カマを掘られると本気で恐怖し、日本大使館へ連絡してくれ!と半泣きになって電話してくるほどの、強靭な精神力と魅力的なケツの持ち主であると。

 

数ヶ月のち、モリヤマ隊員をタイのバンコクで見た。あちらも僕を見たはずだ。テーブルは1メートルと離れていなかったから。紺のシャルワルカミーズが彼のトレードマークなのか、タイでも同じ服装をしていた。視線を斜め下に落としているところもパキスタンの時と同じだ。ひとりでいるときの彼は、自信の欠けらもうかがえなかった。まばゆいカオサン通りのネオンの中で、どこか、追い詰められた小動物のような表情をしていた。いったいモリヤマ隊員は誰に追い詰められているのか。

 
 たぶん、自分自身だ。

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ITより思い出にあい(I)てい(T)

TVゲーム作って売っている人々を、ITとはやし立てるのではなく、人類から、思考を奪い去った犯罪人として、裁き、さげすむべきではないのか?

人類の未来をだめにしたリスト
任天堂・SONYーplay station・Microsoft特にX-Box
その他 あほゲームにえらそうにかかわる人

もちろん、このせいだけではないにしろ、リセットの名の下に、何人殺されなくてもいい命が奪われたのだろう。それに加えて、どれほどの、あほを排出してきたのだろうか?もう、うんざりだ。だが、状況は、確実に悪い方に向かっている。

プラモデル・び-だま・あやとり・おはじき・おにごっこ・べったん・ミニ四駆 ・野球ゲーム盤・鉄腕アトム・リボンの騎士・でん、して動いたらあかんやつ・おばけのQたろう・トランプ特にセブンブリッジと神経衰弱・鉄人28号・エイトマン

チューブからベトベトのを小さい赤や青色ストローにまいてふくらますやつ・小さな相撲取り紙人形を盤をたたいてこかすやつ・ろっこつの下あたりを後ろから両腕でしめつけての失神ゲーム・紙に指示を書いて遊ぶ宝探し・スーパーボール

少年ジェットはきょうはどこを行くんだろう・ワンダースリーもいずこへ・今もあるらしいプラレール・もちろん、りかちゃんにだっこちゃんにフラフープ・一本足でばねが入っていてピョンピョン跳ぶやつ、ぼくはへたなのであまりやらなかったけど

糸車にギザギザつけて、(糸車をまず知らないだろうな) ロウと輪ゴムとわりばしでうごくやつ・わりばしでつくるゴムでっぽう・樟脳やろうそくでうごくポンポン船、あといろいろ思い出の中 みんな、どこいっちゃったんでしょうね。楽しいですよ、だって、手づくりですよ。作るときから、遊び、楽しい。

み~んなアナログってゆうやつ

だから、手とあたまとからだを使った。お金は、多分、今と比べれば、安かった。つまり、こどもでも自分で買えた。おもしろかった。さわってるうちに、遊んでいるうちに、壊れた。リセットなんかなかった。できなかった。だから、大切にした。

「もったいない」は、社会で教えられたし、当時は、みんな貧乏だから身についていた。

みんなで遊べた。みんなでほたえた。みんなで、笑った。みんなで、怒られた。

こわい父親がいた。けなげな母がいた。孫おもいのおもしろいおじいさんがいた。いいかげんな、よい塩梅(あんばい)の、おばあさんがいた。いつも、プリプリしてるおばさんが同居していた。自分の部屋なんかなかった。8人の大家族だった。それが、家族というものだった。良くも悪くも・・・

もう、きっと伝統遊び保存会とかなんとかあって、年寄りばっかり集まって、ごそごそしてるのかしらん。でも、こどもがいないと、たのしさ、半減。だって、次の世代に伝わっていかない。

時計がデジタルになって、音楽もCDのデジタルになって、そのころから、デジタルでないと遅れてるぐらいなのよね。でも、やっぱ、なんでもデジタルがいいとゆうことには、ならないわ。

音だって、アナログってゆうか、レコードや針がもうとっくに、見直されてるじゃない。どーして、子供の遊びは、TVゲームや、ゲーセンゲームに特化されてきて、どーして、回帰していかないのかな?

ゲームが社会に対してマイナス要因をはらんでいることは、みんなが知っているのに・・・きょうも、阪大の学生が、金づちで母親殺し いつまでフラフラしてるのと咎められ(とがめられ)・・・・・

学校や、いわゆるPTAはどーなってるの?

ごめん、彼らは、脳みそないからだめなので、だって、悪くしていった張本人だからだめ。

じゃ、やっぱ、ぼくから言い出します。

気のついた人から、声をだせばいい。自分が、変われば、隣人ぐらい変わるだろう。

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世界は無理なので、自分を変える

他人の家に上がるなら、少なくとも靴を脱いで上がるくらいの常識と礼儀は持ち合わせて来て欲しい。
申し訳ないが、うちは土足厳禁なもんでね!


自分で靴が脱げない甘ったれのお子様は、私の所ではなく靴を脱がなくても上がれる所に行けばいい。
もしくは、いつまでもママのオッパイにしがみついて、おとなしくして自宅にいればいい。

リンク: 特殊清掃「戦う男たち」:2006年7月2日.

    

ブログをわたしの家と表現されていますが、同感です。わたしの店(万華鏡ミュージアム)でも、下品だったり、無礼な振る舞いは、許しません。即刻、退出してもらいます。

おとなだろうが、こどもだろうが、思ったことを言いあえばいいのです。

これこそが教育です。社会(学校や家庭以外で)が、相互に教育をするということです。ともに育つ、共育です。この視点が、戦後つまり第2次世界大戦後、崩壊し、町内のこわいおじさんがいなくなり。結果、エゴおとな、エゴこどもを大量に排出してきたのです。

こころざしの代わりのものさしが、お金でした。これは、教育におけるテスト重視主義と同じでしょ。つまり、プロセスがどうでもよくなり、だれにでもわかる、試験の点数と、お金の量がものさしになったのです。

残念なことは、物事を解決する力や、お金にも通じる道徳や、弱いものに対する思いやりのこころは、計れないという貧しい発想の下、木っ端微塵に吹き飛ばされてしまったのです。

計れないから、要らないのでなく、計れないからこそ大切なのです。愛や生命は、常に思いやりのこころとからみあっているのですよ。

比叡山の酒井雄哉大阿闍梨(千日回峰行を戦後初2度成し遂げられた)に10年前にお会いした時、「今の日本の教育がおかしい。」「50年、間違ってきた。ただ、これを正すのには、3倍の時間がかかる」と。

より多くの人間が、覚醒し、良き発言を増やすことで、少しでも、短縮していこう。良き発言とは、相手のことを考えて、あえてもの申すという程度のことである。世界一のヒーローを目指すものではない。

もの申すことができれば、少しだけ変わる。

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おまえの脳みそエイズ

きのうの、昼12時ごろだったろう。

オムロンに勤める女子が福岡からやって来た。

「坂本龍馬の足跡(そくせき)をたどる旅です。」

「すごい、骨あるやん」と思った。でも、その割には、アクセサリィ ごちゃごちゃしてると思った。まあ、人は見かけじゃないってゆうし。

「諏訪山公園って、どこですか?」

「この近くですよ。」「でも、ほかは、どこへ行くんですか?」

「きょう帰るんで、もういけないと思ってたので、ネットで調べた紙、ホテルで全部捨てて来ました。」

今思えば、ここで気がつくべきでした。ともかく、「じゃ、インターネットでまた調べたらどうです。」そして、お店でわざわざ、もう一度、わざわざ7枚ほどプリントアウトしました。だって、坂本龍馬ですもん。

ところで、「なぜ、坂本龍馬? 別に、いいけど」と、わたし

「わたし、28歳なんで、今、分岐点なんですよ。それで、エイズの人々のために、海外でボランティアしようと思って・・・」

いつも、岐路に立っているわたしからは、27と28と29でどう違うのかとは、思ってみた。齢(よわい)30ってならまだわかるけど。

「すごいじゃん。でも、オムロンみたいな大きな会社辞めるのちょっともったいないですか?」

「いえ、やめません。」

「はぁ?、じゃ、短期ですかね?」

「いえ、3年間です。会社が認めてくれるんです。」

ドッツヒャアーすごいですね。ええこっちゃ。でも、びっくりしました。3年も会社がサポートしてくれることに。

ますます、骨あるじゃん、と思ったわたしは、それから、ほぼ6時間しゃべりまくりました。

わたしには、海外ボランティアの経験があります。表(おもて)の話も、裏の話も、ななめの話も。また人生論も、師匠星野、道寛、中沢さん、黒田清さん、・・・・

「ところで、英語できるよね」

「いえ、ぜんぜん」

ここがラストチャンスだったかも。残念。

途中、障害者施設で働く、松本くんも、加わり、小講演会。お茶は出すは、コーヒーはいれてあげるは・・・ぼくもう、フル回転。

松本君も、店の二胡少し弾いてくれました。もりあがりましたねぇ。そして、運命の時、

あれは、夕方6時ごろです。タイには、エイズの人のめんどうみてる有名なお寺があるよ。等々の話。す~る~と~、

「じゃ、どこに泊まるんですか?」と彼女

「多分、近所の人の家か、お寺の中の施設でしょうねぇ」と、わたし

「えっ、じゃ無理です。ホテルじゃないんですか?」

すみません、なんとなく・・・ぼくの6時間返してもらえないでしょうか?追い返しちゃったお客さん20人以上いたんですけど・・・でも、坂本龍馬、エイズ、海外ボランティアっていうから・・・ぼくは、善良すぎたのでしょうか?どうして、こんな馬鹿しかこないんですか?どうして自分がああああああ・・・うんざり

「骨がない」のに「骨がおれた」はなしでした。

わたしの、矢もつばさもまだ修復可能のように思います。

参考:龍馬ゆかりの地http://www.sky.sannet.ne.jp/moesaki/yukari/kobe/kobe.html

http://www.sky.sannet.ne.jp/moesaki/index.html

あすは、サルガンセキの話 載せます。

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つけ爪より大切?

せんこうは、大きらい

1。 おとなにもこどもにも、あやまれない

2。 おとなとしゃべっていても、くせがぬけない。子供にしゃべるようにしかしゃべれない。しかも表現は、ねこなで声だが内容は、絶対的。

決して人の話は聞かない、聞くふりしかできない。

3. 自分の手を汚さない。

結果、変な子供、変な社会が、現出する。

きのうも、就職活動中の人が、彷徨(さまよ)って来た。あれ取って下さい。あれ見せてください。散々見たおしてから後30分。ぐちを聞いていると、すべてとても、たかぴー。「てめぇーが。世間知らずのくせに、高飛車なんだよ」と言いたかったが、まあ、いつものことなので・・そこは、こちらが、おとなということで、・・

「あの~面接もっと、うまくやれると思いますよ。逆の立場に立てれば・・」

「わたし忙しいんで、でも少し興味あるんで、じゃあ、5分でしゃべってください。 あさって、先輩の結婚式で、今から、つけ爪買いにいかなくちゃならないので・・」

人生を左右する、就職が決まるかどうかの面接テクニックを、5分間で、しゃべる技術を持ちあわせていない。もちろん、5分では、残念ながら、「目からうろこ」というわけには、ならないでしょう。

よって、わたしは、いじわるなので、たった5分でも、わたしの誠実な努力が全くの水泡に帰するのであれば・・ 「ごめんなさい、自分で、どこかで、頭打ってわかっていただくしかない」と思いました。

ところで、「兄弟いるの?」 「弟がいます」

「親は、どんなアドバイスしてくれてるの?親御さんは、どんな仕事?」

「公務員です。」

「ふたりとも?」

「はい」

「まさか、学校の先生じゃないでしょうね?」

「どうして、わかったんですか。」

ごめんね、でも、あなたを見ればわかります。             

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特殊清掃「戦う男たち」

リンク: 特殊清掃「戦う男たち」.

「余程の事情」があるから人生はドラマになる。

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