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2006年10月

フェアートレードとやら

フェアートレードとやらの勉強会に行ってきました。

???

おもしろくなかった。全く。

いや、最後の講師の受け答えは、おもしろかった。

主催者が、「じゃ、25年前のフェアートレードは、失敗だったと、

結論づけるのですね。?」

講師「共同組合を作って、直接買い付けるという意味ではそうです。
失敗ですね。今きれいなこと言ってやってるところも、本当は、
グッチがやっているように、現地に工場作って、直接管理している
のですよ。なぜなら、共同組合方式は、必ず破綻するのです。
だれかが、お金もっていったり、機械売り払ったり・・・

ただ、わたしが、バングラディシュに居た25年前にも、ぼくたちは、
フェアートレードと意識していたわけではないのですが・・・

元々、フェアートレードという言葉さえなかったのですから。

だから、物を売るということではなく、保健衛生のための広報とかだと、NGOの活動の意味があるのです。このNGOという言葉もなかった。」

http://www.shaplaneer.org/

シャプラニール 元代表の斉藤千宏さんが講師でした。

参加者は、大学生らしき人が、9割だったのですが、学生時代を、
思い出させるような、最初は数字の羅列。人口とか、識字率とか・・・
眠くなりました、いえ、寝ていました。だって、数字は自分でも
調べたかったら、調べられるもん。

それより、最後の、15分ぐらい、質疑応答と言っても、ひとり、
ふたりしか手が挙がらないので、斉藤さんが、サービスして、
どんどんしゃべってくれた。本音で。

だって、フェアートレードの勉強会で、

主催者は、何とか、脱線せずに、「フェアートレードがいい」
もしくは、もっと、極端に「フェアートレードしかだめ」になんとか、
導きたそうな雰囲気の質問。

斉藤さん、たじろがず、「フェアートレードは、失敗でした。
トレードは、NGOになじまないし、直接生産者を組織してと、
きれいなこと言ってるところも、結局、工場作るのと、いっしょ。
つまり、グッチと・・・」

明快です。本音です。

あと2つ

斉藤さんが、25年前手工芸品を売っていた時、
何が役に立つのか3年間ぐらい議論したそうです。

だって、彼らに作ってもらったものは、所詮外人にしか売れない。
つまり、国内に市場がないことと(食べるのに精一杯)、だから
外人のチャリティに期待する以外にない。

ただそれは、結局、彼らの自立とは、相反する。たくさん作り続ける
わけにはいかない。つまり、チャリティこころのある外人がいないと、
成立しないし、作れば作るほど、チャリティでの購買に、期待が募る。
自然な流れではない。であれば、物がなしのチャリティだけでも、
同じではないのか?

外人に物を買わす慈善事業にすぎない。

わたしが、すごいと思ったのは、この3年間のところなのです、実は。

難民の仕事をしていた私たちには、この時間の余裕はなかったなぁ、
と想いだしたのです。ただ、余裕があったからよかった、とか、
そういう問題ではなく、あったって、結局同じとは思うのですが、
ちょっと、うらやましかっただけなのです、
ほんのちょっとだけ。

本論に戻りますと、

じゃ、チャリティはいやならどうするのか?ですが・・・

いいなぁと思えるものを提案する。
つまり、ビジネスの原理です。

QUALITY CONTROLE(品質管理)
納期も守ってもらう等、のことです。

すると、外国に出稼ぎにいったバングラディシュの人や、
海外に脱出した人たちが、一時帰国した時に、おみやげとして、
買っていくようになったのです。つまり、外人のチャリティにのみ、
おんぶしなくても、ものやデザインが、良くなると、自国の人たち
までもが、おみやげとして、買ってくれるようになったのです。
これで、継続的な、サークルが回り始めたのです。

このターニングポイントになった作品が「ノクシカタ」です。

http://www.shaplaneer.org/crafts/noksikata.htm

もうひとつは

斉藤さんが、おっしゃることに、まさしくその通りと思ったのは、
斉藤さんが、バングラディシュに赴任されていたとき、日本から、
お金はほとんど送られてこなかった。だから、いやでも、現地で、
人的コネをつくりなんとか、やっていかないといけなかった、と。

でも、これが、よかった。

ACCOUNTABILITY(いわゆる説明責任)なんてことばもなかった
ころなので、今なら大変でしょう。だって、お金たくさんもらえば
もらうほど、レポート書かないといけなくなるし、そうなると、
現地にいるのに、日本のほうばかり見て仕事しないといけなくなる。

その通り。

楽や、便利や、お金ないほうが、ほんとうは、充実してるのかもね。

注「外人」が気に入らない方は、ややこしく、「非自国民」とか何とか
適当にやって下さい。わたしは、こだわりませんので、そんな
小さなところには・・

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「蟻」ありの作り方

誰が決めたんだろう?おこったらだめとか、
他人を批判したらだめとか。

それって、きゅうくつでしょ。

言いたいこと言えばいいじゃん。
他人を気にしすぎて、自分が犠牲になっている人が多すぎます。
そんなこと言ったら、相手が傷つくとか・・・・・
それで?それで???それで??????

どうでもいいじゃん。
傷つくのも人生のひとこまだし、なぜ、必ず傷つくと、
決まっているんですか?

言いたいことがない人のいいわけでしょ。
ちょっとの勇気もない人のいいわけでしょ。
少しの、優しさも持ち合わせていない人のいいわけでしょ。

言いたいことが、まともにあれば言いますよ。
だって、言わなきゃ、伝わらない。

じゃ、相手が傷つくからと、何も言わない、言えないひとは、
代わりに、その相手のめんどうを、一生みる気ですか?

違うでしょ。さしさわりのないこと言って、ごまかしてるだけじゃない。

そうゆう時も、もちろんある。
でも、使い分けができるほどの達人でないなら、
いつも本音でいきましょう。

「相手」のこと考えてるふりから、本当に相手のこと考えてるなら、
なおさら、ぶつかっていくべきですよ。

「傷つけるのはよくない」なんて、しらじらしい。自分が、
「傷つきたくない」だけジャン。だって、人と関わるとね、
いやなことが絶対でてくるもんね。わかってもらえないとか?
受け入れてもらえないとか?

あたりまえでしょ。
受け入れてもらおうなんて甘いんだよね。
みんなばかばっかりなんだから、受け皿なんか持ち合わせてないのよ。
そんなばかに受け入れてもらわなくていいのよ。

だって、言いたいこと言い切った、あなたは、
受け入れられようと、受け入れられなかろうと、
正真正銘の、人生の、主役のあなた、なのですよ。

本当にだめなのは、うじうじ、他人のせいにして、
相手をきずかうふりをして、傍観者でいることこそなのです。

わたしは、そう思います。

「言え!言え!、やれ!やれ!もっと、もっとやれー!!」

私たちが、どれほどがんばっても、
残念ながら、所詮、ありの一匹も作り出せないのですから・・・

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離島応援“隠岐”

コラー!おじさん。

島民A。れんぺいです。今日は僕の誕生日。ハッピーバースデイ!俺。
しばらく、傍観、「自分探し」の旅に出ていました・・・。人生、山あり、谷あり。今、山を登っています。
僕は、今島の子供たちに「じゅーどー」というスポーツを教えています。小学1年生から中学生まで総勢20名強。
練習の前には子供たちとふざけあいながら、キックとかパンチとかを浴び、耐え忍んでます。が、僕も黙って耐え忍んでいるわけじゃありません。
稽古が始まるや否や、人が変わったように・・・「鬼」と化します。竹刀で子供たちの「ケツ」を叩き、罵声・怒なり声を上げ、畳に叩きつけ、涙でぐしゃぐしゃになっても・・・カンプなきまで、やっつけます。大人気ないといわれようが、子供がかわいそうといわれようが、畳の上での方針は変わりません。
子供たちはそれでも真剣についてきます。真剣だからこそ、真剣に付き合ってやりたいんです。
ちょっと前に「教え子」が午後の10時頃、友達と町をウロウロと・・・。「カチーン」ときて「コラー!!!お前らなんしよっとっ(なぜか九州弁)!はよ、家にかえらんかー」
と、近所迷惑になるくらい怒鳴っちゃいました。しっかり、その友達の名前と連絡先まで聞いて。
話がトッチラカッチャいましたが、子供には「良いことは良い。悪いことは悪い。やるときはやる」としっかり教育したいものです。
それがその地域の長いスパンでの『財産』なんですから。

MICROSOFT  による、なんと、「島おこし」 プロジェクトの一場面です。

転載させていただいたので、元のブログはこちらです。10/22の最後にあります。わたしの20日のブログに連なると思います。真剣の意味をごまかさず、すばらしい。

http://okinoshima.spaces.live.com/

http://go.microsoft.com/?linkid=5656198

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おしくらまんじゅう

先日、さるコンビニで、あまりにも、レジの男女の会話が、うるさい&長い&下品なので、

  「君ら、ここは、君たちの職場でしょ。話をしてもいいけど、限度があるんじゃない?もう、いいかげんにして、仕事したら?」

と、よせばいいのに注意しました。すると、

「悪口は、よくありません。」と、逆に注意されました。

もしもし、「悪口じゃないでしょ。注意してるのでしょ。」

「聞きたくありません」

  「エッツ!」

ごめんなさい、わたしには、意味不明です。それで、

  「なに言ってるのかわからん?」というと、

「ため口はきかないで下さい」 だと、

結果、こんなあほを、相手にした私が悪いのでしょうけど、あまりにも、今のYOUNG もしくは、一部のYOUNGはおそまつでは、ありませんか?

20代の人に、この話をしましたら、「彼らは、いわゆるゆとり教育の中で育っているので、ぬるぬるです。先輩を敬うとか、自分が全体の中で、どの位置にいるのか全くわかっていない。自分たち(20代)でも、彼らが、理解できません。運動部にでも、所属していると、違いますよ。」

この話、30代の人に話しました、「徴兵でもしないと無理!!」

戦争は絶対反対です。

でも、みんなが、今の教育はダメだといいながら、なぜ何も変わらない。変えようとしない。

ダメ、ダメ、を言ってても、何も変わらないよ。

昔の子供は、よくなぐられた、と

暴力の話ではなく、愛情の話です。

ぼくも、長男だから、よく、なぐられはしませんが、たたかれました。

でも、親をうらむようなことはありませんでした。

だって、たたかれるのには、理由があったからです。

いま仮に、ひとの子をたたいたとしましょう。

警察沙汰でしょうか?暴行・傷害罪でしょうか?

少なくとも、だれも良くやったという人はいないでしょう。

「どうして?」

だって、たたかなくても、ほかに方法があるからと、うそぶきましょうか?

違うでしょう?

たたくことで、たとえ自分が罪に問われようと、その子のために、ぶつかっていけないだけではないのですか?体を張ってでも、何とかしてあげるという気持ちがないだけでは・・・

体を張ってでも、守ってあげると、相手にも伝わるものがあるはずです。それをしないで、あきらめているだけというのでは、社会に参加していないのと同じです。いつまで、傍観者でいるのですか?もっと、ずるずるになりながら、べたべた、くねくね、ほこほこ、泣いたり笑ったり、いいあんばいに生きましょうよ。

いつになったら、本気でぶつかるつもりですか?

現在の社会には、愛情がない。本当の愛欠乏社会なのですよ。

だって、昔なら、こどもを、たたいたぐらいで、とやかく言う人はいなかった。ゴツンとげんこつもらったり、しっぺなんかしょっちゅうで、廊下にたたされたり、運動場3周とか、先生に対しても、ましてや、注意してくれた、他のおとなの人に、感謝こそすれ、誰もかみつくようなことはしなかった。今よりはるかに余裕があった。こころの余裕が・・・

でも、今は、だれも、責任をとらない、とろうとしない。そのための、へりくつと、まやかしの愛情と、言い訳ばかりで、そんな中で、自分は、罪に問われようと、「こいつは、たたいてでも、助けてやろうと思える状況にないのです」

おとなが逃げていることのほかにも、みんなが、しらけている要因はあります。

はっきり言えば、たたいてあげてでも、なんとかしてあげようと、思えるYOUNGがいないのです。あほばっかりで。

それに値すれば、ひとは、なんでもしなくちゃ、うそです。

瀕死の重傷患者

今のYOUNG風に言えば、「血だらけで、きたないし、手間かかるし、死んじゃったら、訴えられるのいやだから、ほっとこ・・・」

現実の医者も、ヒトも、そう処置するでしょうか?

反対なんですよ、なんでも。

瀕死だから、急いで助けようとするのです。

ホームレスの人きたないから、石投げるのではないのですよ。かわいそうな境遇にあるのだから、同情するべきです。反対です。だれも、あすは、わが身と思っていないからできるのでしょう、ひどいこと。

いじめられてる子がいたら、いっしょにいじめてやろう、そうしないと、自分がいじめられるかも?ではなく、お前が「やめよう」って言ってやれよ。ちょっとの勇気じゃないの。それができないなら、せめて、自分は、いじめに参加しない。これなら、できるだろう。

だって、いじめに参加した時、自分はこれで、いじめられないから、ほっとするかもしれないけど、いい気分ではなかったはずです。ひとりから、変わるのですよ社会は。

いつからかは、知る由もありませんが、もう何十年も前から、このあべこべ社会が、徐々に蔓延してきているのだと思います。それが、わからないひとは、しらんぷりしてきたひとでしょう。他人とかかわると、いやというほどわかりますよ。その程度が、深まっていることが・・・

そこで、「徴兵」でも、なんでもやって、ともかく、できるだけ早く手を打たないと・・

年長者よ、目覚めてください。瀕死の地球を救うなんて、偉そうなことはともかく、まず、手近のYOUNGを、叱りとばしましょう。自分たちも、そうしてもらったじゃないですか?そこには、愛情あふれるものがありました。違いますか。年長者には「お返し」の人生です。

親が泣きながら、あなたをよくしてやろうと、たたいたことは、ないのですか?いつも、それを虐待と思っていたのですか?あなたも、その親の気迫におののき、泣きじゃくっていたことはないのですか。ないなら、それをこそ、不幸というのです。

いまのひとは、たたきべた、たたかれべた。だから、鼓膜やぶったり、けがさせたり、だって、平気で、ぐーでなぐったりする。ナイフ持ったり、だめだめ。ぐーは絶対だめ。武器もだめよ。憎くて、たたくのではないのです。ぐーは、たたいていません。なぐっているのです。

ましてや、虐待は、陰(イン)です。明るく、お前たちが、明るい未来をGETできるために、いま愛情をもって、叱ってあげるのです。だって、大きくなってしまうと、叱ってくれるひとなんていないのですよ。ちがいますか?

暴力のすすめでは、ありません。「おとなが逃げるな」キャンペーンなのです。おとなが、こどもをからだで受けとめてあげることも必要なときがあるだろう、ということなのです。じゃ、反対にぶつかってあげて、おとなの気迫を教える必要もあるでしょう、ということです。個室にひきこもって、しらけている家族関係は、もうやめ。STOP。

よく、大家族で、(よくテレビの番組にあるでしょ。)もう、無茶苦茶、ハチャメチャになっている、そんな風景の方が、きたなく見えるかもしれないけど、どれだけ暖かいか。

赤ちゃんのめんどう見てる、小学3年生そして、けんかしてる6才と7才のおとこの子、その脇で、うどんこぼしながら食べてる、おんなの子、1番上のおにいちゃんは、24才で、独立してそばに住んでいる。18才の3女は、できちゃったと、お母さんに相談、5女は、家計の為、夜間高校に行くと、けなげな提案を・・・お母さんは、料理に洗濯に獅子奮迅の働き。お父さんは、新聞配達の仕事、中3の男の子の3者面談で、こどもが、先生に挨拶しなかった時、挨拶しろと鉄拳制裁、先生の目の前で・・・

これで、だめですか?

3男は、こつこつためたお金で、両親に旅行のプレゼント。でも、そのあと彼は、新聞配達中にひき逃げされ、しばらくは、右半身麻痺。家族は心配で、みんなが代わる代わるお見舞いに。

これで、だめですか?

夜の家、喧騒は続いている茶の間、お父さんは、大きなクッションに寝そべりながら、その景色に、にこにこしている。お母さんは、洗濯物をたたみ続けている。小さなおとこの子が、お母さんの手をひっぱる。おんなの子が、お父さんのひざを占領すると、おとこの子がとび蹴りをはじめる。

これで、なぜ、だめ、なんですか?

このあいだ、テレビ大阪で見た、17人家族の物語です。

私たちの社会が、瀕死のとき、痛いからといって、手術をこばむのは、お利口とは、いえない。

どんどん、ぶつかってあげて、どんどん受けとめてあげましょう。
しらけたこと言ってるひまに、はだかでぶつかり合いましょうよ。

受けとめるだけでいいと、ごまかすのは、やめましょうよ。

受けとめるだけなんて、できるわけないし、YOUNGも望んでいません。だって、ばかにされている感があるし、YOUNGに真剣に向き合っていないでしょう。気がついた人から「おしくらまんじゅう」始めましょう。

なお、「たたく」が気に入らなかった方は、すべて、「おしくら饅頭ごっこ」に置き換えてお読み下さい。

それでも、「たたく」が気に入らない方は、すべて、「ぶっとばす」に置き換えてお読み下さい。

一語一語の、あげ足取りではなく、全体の意味を汲んでご理解ください。

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