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2007年3月

武田 邦彦 さん

みんな、だまされているよ。ということを、声高でなく、論理的に説かれている方です。

本当のことをしゃべる人だと僭越(せんえつ)ながら、そう思いました。

例 ごみはリサイクルしない方が、地球にやさしい。

  地球温暖化で、海面は、上がるのでなく、下がる。

武田さんは、教授なのですが、こんなすばらしい人を教授呼ばわりしてこけにしたくないので、わたしは、あえて「さん」づけで呼ばせてもらいたいと思います。

最後のところで、どちらが「優れて」いるのか?と武田さんは、問われていますが、こういう感情的になれるところが、この方のすばらしいところだと思っています。

人は、理屈(あたま)ではなく、ハート、あえていうなら感情で決断していくのがいいと思っているからです。(決して、ONLY 感情的ではありませんが、感情的でもいいと思います。要は、計算ではなく、自分が快かどうかです。)

武田 邦彦さんのホームページからそのままの抜粋です。

http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/tyosyakinei/concept/index.htm

武田さんをもっと、知りたい時は・・・次のページの下の方の写真集?!?

http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/tyosyakinei/index.htm

  研究のコンセプト

1. 学問の内的条件は進歩であって、進歩とは現在の概念や状況を否定することである。従って、学問が現在正しいと思っていることが学問それ自身によって間違いであるということを証明されるのを待っていると言える。つまり「学問は常に時代遅れになることを自ら欲する」であり、今、正しいと考えていることが間違いであり、否定を目的とするならば、現在の認識によって合理的に立てられる研究テーマは間違いであり、その行為は学問ではないとできるのである。もし、学問がなにをなすべきかについてその答えを持ち、しかもそれを追求できるならば、それは新しい概念を生むことができない。

2. 「有望」と判っているものは行わない。ここでいう「有望と判っている」という概念はアメリカ・ヨーロッパなどを含めて研究が着想されたものやすでに大規模な研究がされたものを含む。また、産業界との共同研究においては特に、「産業は今を正確に認識し、近い将来を予測することが出来るが故に、将来を生み出すことは出来ない」、一方、「学は自ら時代遅れになることを望むが故に、新しい時代を切り拓けるが、今必要なことはできない」、という原則を保持する。従って共同研究においては製品に関する具体的な成果を求めない。

3. 社会への技術のもたらす影響が大きくなるに連れて技術の成果と社会との距離が近くなった。19世紀の技術は「その作品をショーウィンドウに飾るだけ」で、そのうちどれを選択するかは主人である社会が決めると言われたが、20世紀では技術の成果が直接社会に投入されるようになる。従って、研究テーマ自体の持つ社会的意味を熟慮してとりかかる。特に研究者は自らの名誉や職業的地位を高める目的ではテーマの選択を行わないこととする。

4. 写真右は原子爆弾を産んだ「優れた」科学者であったオッペンハイマーであり、左は長崎での原子爆弾投下のあと、死んだ弟を死亡した両親に代わって集団埋葬地の前に連れてきて立ちすくむ少年である。人類にとって最高の教育を受けたオッペンハイマーとまだ教育を受けていない少年のどちらが「優れて」いるのだろうか?

 Concept_3

この厳しい問いは一面的ではあるが技術における教育の本質的意義を問うものである。工学教育は単に技術的な能力を磨くばかりではなく、それと調和した人格と人間的な力を高めなければならない。人格教育に関する研究室のテーマは”dedication”しうる人である。

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ウィトルウィウス

ウィトルウィウス

答えは、次回ということで・・・

うふっ うふ ふっ・・・

参考

http://www.davinci-davinci.com/sugaku.html

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