« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

誰にも ほめてはもらえないけれど

きょうまで 3日間ほど必死でした。
30年来の 付き合いのある 友人から 
赤ちゃんの時に 別れた娘が 日本にいるみたいなんだ

ここが出発点
名前しかわからない 僕は 顔もわからない
よしんば 神戸方面にいるらしい などという 
不確かな情報があるのみ

これじゃ、とても行き着かないなあ と嘆いていた
しかし ここから 奇跡が起こる
ほんとに 奇跡以外の なにものでもない
あと 運のよさ ご利益 ついでに 法力とやら

わずか 1時間で ともかく 娘さんの メルアドがわかった。
たくさんの奇跡のおかげで・・・・・・・ suncoldsweats01sun

でもここからが また どうしたものか?

お父さんである 友人に 連絡した
ひとこと 「メルアド わかったよ!」と 伝えた
あまりに 突然で あまりに 急な展開に
何か 戸惑ってしまったようで

メール自分でしたら? と呼びかけたものの 
やっぱり、遠くから 見守るだけにしよう などと 
ふざけたことを・・・・・・ ぷんぷん thunderannoythunder

しかも その後も 
はぐらかしたような内容のメールが来て
老婆心がどうのこうの、と
戸惑いが わかるものの
会いたいと言っていたのは お前じゃなかったのか?
と、憤(いきどお)る

もうだめ
まあ、直接と言うのも 
お互い いろいろあるだろうからなあ
ここは 僕が ひとはだ脱いでやろうか?

それから 何時間もかけて
友子(仮名 友達の子だから)さんに関する 情報を
できるだけ集めて 長~い メール 書きました。

ほとんど書き直すことなく 一気に書き上げました。

言いたかった 中身は たった一言
『あなたは 二十歳になり お父さんは 60歳を超え
後は歳を取っていくだけだから できれば 仲良くして欲しい』

「なんで きょう 30日 月曜日の 夜中
(日本時間)に 急にメールしたかと言うとね 
(友人からは土曜の夜 この話を聞いていたけど)
土・日曜日は 日本政府がね この 28日から 
景気対策とやらで 高速道路 どこまで行っても 
1000円 にしたのよ・・・・ それで、うちも 
春休みと重なって ちょっとだけ忙しくてね

だけど あなたの お父さんの 61回目の 誕生日が 
あさっての 4月1日 に迫っているから、
もし良かったら 「おめでとう」 って だけでも 
メールしてあげたら喜ぶだろうな と思ったから。

ごめんね 絶対してという、お願いではないよ。

大丈夫 ゆっくり 考えたり 何か質問あったらしてください。」

さて、返事は、あるでしょうか?
もちろん 必ずあるとは限らないし ましてや 
私のことを信じてもらえるでしょうか?
一抹の不安はあります。

でも、その夜 そのまま 朝まで 返事を待ちました。
これは 実は 彼女は、もう海外に いるようなので 
時差も考えたからです。
すると 忘れもしない 3:06分
彼女から の メールが入りました。

どきどきして、クリックしました。

とても長い 私の 書いたメールより 長い 
心のこもった メールでした。
その中で 父には 18年以上会っていないこと 
而(しこう)して しゃべってもいないし、 
写真は 1枚しかないので 顔も 覚えていない 
母親に どんな 顔 だったと聞くと いつも 
鏡をみてごらん お父さんそっくりだよと 言われること 
などが リズミカルに 綴(つづ)られていました。

ただ、お父さんの 誕生日については 
『父に フェリス・アニヴェルサリオとお伝えください。
(ポルトガル語でハッピーバースデイです)
 パソコンが近くにあれば ネットのアルバムに載せてある
成人式の写真見せてあげてください。』


「よっしゃー」


うれしかったですよ。そりゃ とても とても

それから また ネット上の アルバムから 
たくさんありました 多分300枚ぐらい の写真の中から 
60枚ぐらい とびっきりのを選びました。

それを 元町のカツミ堂さんで プリントしてもらい 
この 2日ほどの やり取りのメールを 印刷し
字が小さいので コンビニ で 拡大コピーし
 
郵便局で EXパック 買って 友達の 住所書いて
アルバムなかったらかわいそうなので アルバムも買って
全部 全部 封筒に入れて 今日の 昼すぎに 出してきました。

たくさんの 運命と 思いと せつなさ のつまった 封筒です。
友子さんの たくさんの笑顔の写真
友達に囲まれた 写真や アヒルの口した 少しふざけた写真
水着の写真や パーティの写真
そして、極めつけは 成人式の写真
振袖姿の 二十歳の 友子ちゃんの 写真です
友人は どういう思いで 一枚一枚 見ることでしょう。

当たり前ですが 私の友人は まだ知りません
あす この封筒が 彼の手に渡って初めて
私が 勝手に ことを進めていたことを知るのです。
その時まで 彼は何も知りません
封筒の うらには 赤く 大きな字で 
フェリス・アニヴェルサリオ と書きました。

その時の彼の 顔を わたしも 友子ちゃんも 
見ることはできませんが
18年の わだかまりや だから いまさら 
どう対応していいのかわからない・・・・・ 
数々の逡巡(しゅんじゅん)ためらい 
いろいろな思い 一気にで なくていい 少しづつ すこしづつ
だって、何か 始めなければ 何も変わらないですものね


ここまで 読んでいただいて ありがとうございました
私 うれしくて うれしくて 一人でも だれかに 
おすそ分けしたかったのです。


ところで 明日は 4月1日
エイプリルフールです。


・・・・・・・ですが、
ご安心ください。何のどんでん返しもありません。

あとでわかったのですが 友子ちゃんは 3月2日までは
日本 しかも 神戸に いたそうです。
お父さんは 大津 親子は どこかで 引き合ったり 
わかり合っているものですね。

それでは また 続きの ストリー 
書けるときが来たら 書きますね

彼ら 親子の 幸せと 世界の人々が 
少しだけ 幸せになれるように 一緒に 祈りましょう heart02

| | コメント (3) | トラックバック (0)

革命のために なすべき小さくても 大きなこと

ベトナムのどぶ川を 浮島で、浄化を!!

テレビ番組の「素敵な宇宙船地球号」での話

すばらしかった 「NPO とよあしはら」

どこが?


山本さんが ひとりで どぶ川に入って行く

見物の ハノイの人たちは

顔をしかめ

鼻をふさぐ

それぐらい汚そうな

どぶ川


山本さんが 動くたびに ヘドロが舞い上がり

ゴミを拾おうとすると よろけるし

ヘドロに 
足をとられる

こけそうになり、顔から どぶ川に 

突っ込みそうになる


もちろん 泥だらけ 水まみれ


それでも ゴミを 

いや 


ソファー や 自転車 を

果たして ゴミと言えるのだろうか?


廃棄物や それこそ 数限りない ペットボトル 

カンカン や なんやから・・・・

すると ひとり ひとり 見かねた人たちが

ゴミ拾いに 参加してくれる


もちろん 最初から 川の中に 

ズカズカ 入って行く 勇気のある人はいない


むしろ おそる恐る 

できれば かかわりたくないぐらいの 態度で

でも 着実に その芽は 育ってくる


日本人が、はまっている川は

実は 自分たちの 川なのだから


小学校からも こどもたちが 手伝いに来てくれた


後日 山本さんは 小学校に 招かれ

エコロジーの授業を 頼まれる

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・


あっつ そうか!!! 

国会や 社会や 教育は

どぶ川以上に

腐りきり ゴミだらけ

ヘドロだらけ

どうやったら きれいになるの?


非力な私たちに できることは何もないのか?


ヘドロの中にあっても 
臆することなく

自分の信ずるところを 邁進するのがよいということ

できれば、山本さんみたいに 

汚い なかでも 笑いながら


何をしたら良いか わからなかったら、

うちに来なさい

いっしょに 考えましょうよ。


山本マスター

http://www2.cosmo-oil.co.jp/econets/chair/master06a.html

豊葦原の作業 浮島作り

http://www.camper.ne.jp/npo/action/060129/photo.html

テレビの様子

http://plaza.rakuten.co.jp/shoujikankyou/diary/200903160002/


ところで、ベトナムの川

わずか 3ヶ月で

小魚が 集まるほど きれいな川になったのですよ。


誰かが始めたら、何かが 変わる!!

そんな 誰かに 自分が なればよい!!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »